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MHFについて
About MHF

MHCPは、EARTHSCAPEが運営するプロジェクトです。
MHCPで得た収益の一部は、MHF=メディカルハーブマン基金として、
EARTHSCAPEが行う、発展途上国の子どもたちのためのプレイグラウンド制作の資金として使用します。

 
 
 
 
 
 
プレイグラウンドストーリー
Playground Story
 
Story - 001
パキスタンプレイグラウンド計画

2001年9月11日。
世界にとって忘れる事の出来ない日になってしまったこの日、僕たちはパキスタン北西辺境州チトラルのドローシュという町にある、「コミュニティースクールシャニガル」という小さなプライベートスクールの校庭に子供たちの遊び場をつくっていました。 

このプロジェクトは、日本パキスタン協会が行っている『mihoko’s fund』の活動の一環として行われました。
『mihoko’s fund』は、パキスタンと深い関わりを持っている西山美穂子さんが「パキスタンの子供と女性の為に」と資金を提供されて設立されたものです。 

ドローシュでは専門の先生の数が少ないこともあり体育の授業が出来ない事から、その代わりとして子供たちが遊びながら体の使い方を覚えていくようなプレイグラウンドが求められていました。
しかも、それは、現地で簡単に手に入る材料だけで制作でき、現地の人々だけで簡単に修理が出来るものでなければならない、という条件付きです。そのようなプレイグラウンドを、現地で・現地の人たちに作り方を教えながら・一緒につくってくれる・若くて体力があり・海外でそういった経験をした事のある専門家、という彼らの求めていた人材になんとなく近い気がする、という理由から依頼をもらい、そして、それに「面白そうだ」と二つ返事でokした僕らはこのプロジェクトに関わる事になったのです。

プレイグラウンドの制作は二年がかりで行われました。
一年目は現場視察と調査、うまくいけばいくつかの遊具を制作し一年間使ってもらった上で、二年目はその状況を見て本格制作。プロジェクト開始当初にたてた計画通り、順調に進んだプレイグラウンド制作は、二年目には画家の今井みろりをメンバーに加え、予定通りに完成しました。

出来上がった遊具は、誰でもつくれそうなもの。
それはこのプロジェクトの目的の一つでもありました。 厳しい日常を生きる現地の人々にとって子供たちの遊具をつくる試みを行うことは容易なことではありません。しかし、これならたった一週間足らずで、しかも僕らよりも上手につくることができそうだ、と現地の人々に思ってもらう。実際、制作中にはいろんな地域の人たちが遊具を見に来て、それを真似て自分たちの地域の学校にも自分たちの手で遊具を制作していったそうです。
日本パキスタン協会のメンバーで今回の様々な調整をしてくださった丸山夫妻に初めて会ったときに彼らがいっていた「豪華な施設はいりません。私たちは本当に必要な援助を行っていきたいのです。」という言葉の中にある「本当の援助」とは何か?
このプロジェクトを通して僕たちはそのことを考えるようになりました。

東京で、毎日、ほとんどがデスクワークの僕ら。文化も食生活も全く異なる土地で、朝から晩までの体力作業は想像以上にきついものでした。途中で体調が悪くなって、薬を飲んでもなかなか治らない。
そんなとき、現地の人が心配して持って来てくれる、見た目もただの雑草やよく分からない穀物の実が本当に良く効き、拍子抜けするほどでした。プレイグラウンド制作とともにしたこの体験は、その後、MHCPへと発展していくことになります。

 
場所:「コミュニティースクールシャニガル」 パキスタン北西辺境州チトラル県ドローシュ/クライアント:日本パキスタン協会「MIHOKO’S FUND」/コーディネーター:丸山純、丸山令子(日本パキスタン協会)/制作:団塚栄喜、熊谷玄、今井みろり/協力:コミュニティースクールシャニガル/素材:流木、古タイヤ、ロープ
 
 
 


 
Story − 002
ネパールプレイグラウンド計画


「天竺の旅人」彼(故飯田伸一さん)は自らをそう呼んでいたそうです。
サリドマイドの薬害で生まれながらにしてハンディキャップを背負うことを強いられた伸一さんは、僕たちには想像もできないほどの困難な人生を歩んでいました。そんな彼が心から愛した地、ネパール。2002年8月、病気により、若くしてこの世を去った伸一さんの父である飯田進氏と出会ったことからこのプロジェクトは始まりました。

2002年の年末、僕らは進氏と会い、話を伺いました。
彼は、伸一さんの葬儀で集まった香典を彼が愛したネパールの子供たちの為に役立てたいと願っていました。進氏とは、以前より親交があったこともあり、そのお手伝いをすることになった僕らは、登山家で、ヒマラヤ観光という旅行会社を経営し、さらにはカトマンズでホテルを経営している宮原魏氏に相談し、カトマンズ周辺の農村部で遊具をつくることができそうな学校がないか調べてもらうことにしました。

宮原氏からあげられたいくつかの候補地の中から選んだのは、ネパールから車で山道を走ること2時間ほどの距離にあるチャイマリという集落の、全校生徒400人くらいの学校でした。

その地域では、周辺に学校がここにしかない為、4才から15才くらいの幅広い子供たちが学んでおり、その多くは片道1時間以上歩いて学校に通っています。 家に帰れば、家族の一員として様々な仕事をこなす彼らにとって、学校は生活の中で唯一子供として、友達と遊び、学ぶ場所です。子供たちが子供のままでいられる時間をもっと楽しくなる手伝いが出来れば良いなと思ったこと、そして、調査の為に訪れたとき、学校がある谷の風景がとても美しかったことが決め手となりました。

パキスタン同様、現地で簡単に手に入る材料を使う事。現地の人と共同作業で行う事。(そのために農閑期を制作時期とする事。)子供たちと一緒に作る事、などいくつかの方針を決め、一週間小学校の外れにテントを張ってキャンプをしながら制作を行いました。

徐々に出来上がる遊具と、それを心待ちにする子供たち。現地で作業を手伝ってくれる大人の何人かは、息子や娘がこの学校に通っていたりします。
僕たち、ものづくりの人間にとって、パキスタン、ネパールでのプロジェクトには「ものを作る」という行為の原点がある様に思えていました。

しかし、一方でこれらのプロジェクトは個人の善意によって成り立っており、僕らは奇跡のような確率で、偶然にもこれら二つのプロジェクトに恵まれただけでもありました。

子供たちに遊具を作るというプロジェクトを続けていく為に、
僕らは、自分たちで何か行動を起こさなければならない。
ネパールのプロジェクトを終えたとき、そういう気持ちが芽生えてきました。

 
場所:チャイマリ小学校 ネパールカトマンズ/クライアント:飯田進/コーディネーター:ヒマラヤ観光 宮原魏/製作:団塚栄喜、熊谷玄、今井みろり/協力: ヒマラヤ観光現地スタッフ チャイマリ小学校父母/素材:材木、古タイヤ、ロープ、レンガ
 
 
 
Story - 003
タイプレイグラウンド計画


パキスタン、ネパールでのプロジェクトを持続可能なものにする為、
僕らはそのための資金を自分たちでつくり出す必要性を感じ、
MHCPが生まれました。

MHCPのお披露目となった記念すべき最初のプロジェクトはTOKYOデザイナーズウィークへの出展でした。僕たちの考えに共感してくださった建材メーカーEXTOの協力のもと、表参道にMHCPを出展する事ができた僕たちは、そのときの売上金をつかって3回目のプロジェクトに乗り出す事になります。

まず、どこにつくるかを決める為に、元アジア開発銀行融資局長でカンボジア国家経済最高委員会終身顧問の森田徳忠氏に相談したところ、タイとカンボジアの国境付近、かつてポルポト派によって多くの惨劇が繰り広げられたエリアにある小学校を紹介されました。

現地では、当時の「負の遺産」ともいえる地雷が多く埋まっており、日本のNGO、JAHDSが地雷除去活動を行っていました。
また、この地域の復興計画を現地のNGO、MEKONG ORGANIZATION FOR MANKIND(MOM)が行っており、両者を紹介してもらい、彼らとともにプロジェクトがスタートしました。 

今回は、アースケイプの他にも有志者を募り計画に賛同してくれた4人を加えて現地へ赴き、キャンプ生活を送りながらプレイグラウンド制作をスタートさせました。 
これまでの経験を生かしつつ、同様の方針のもと多くの仲間とともに行ったこのプロジェクトでは、一週間という短い期間にも関わらず予想をはるかに上回る規模のプレイグラウンドが出来ました。
これは、森田氏を始めMOMやJHADS、さらにはボランティアで参加してくれた仲間たちが、資金・人の両面で支えてくれなければ決して成功できなかったものでした。

こうして僕たちは今回のプロジェクトを通して、仲間を集め一緒につくることの大切さを学び、そのためにMHCPが、多くの人が様々な形で参加できる開かれたプロジェクトである必要性を感じたのです。 また、このプロジェクトの為に制作したTシャツを買ってくださった方、アースケイプに設置された募金箱に募金してくださった方々の協力により小学校に立派なブランコを作ることが出来たのも大きな産物でした。

場所:Ban pumsarol School  タイ クライアント:MHCP/MEKONG ORGANIZATION FOR MANKIND コーディネーター:森田徳忠、 MEKONG ORGANIZATION FOR MANKIND 製作:団塚栄喜、熊谷玄、永森しきの、荒木宗一郎、荻原武彦、赤松裕次郎、清原和哉、諸熊亮 協力: JHADS, MEKONG ORGANIZATION FOR MANKIND, Ban pumsarol Schoolの先生たち、 Ban pumsarol Schoolの父母たち 素材:材木、古タイヤ、ロープ
 
 
 
     
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