「天竺の旅人」彼(故飯田伸一さん)は自らをそう呼んでいたそうです。
サリドマイドの薬害で生まれながらにしてハンディキャップを背負うことを強いられた伸一さんは、僕たちには想像もできないほどの困難な人生を歩んでいました。そんな彼が心から愛した地、ネパール。2002年8月、病気により、若くしてこの世を去った伸一さんの父である飯田進氏と出会ったことからこのプロジェクトは始まりました。
2002年の年末、僕らは進氏と会い、話を伺いました。
彼は、伸一さんの葬儀で集まった香典を彼が愛したネパールの子供たちの為に役立てたいと願っていました。進氏とは、以前より親交があったこともあり、そのお手伝いをすることになった僕らは、登山家で、ヒマラヤ観光という旅行会社を経営し、さらにはカトマンズでホテルを経営している宮原魏氏に相談し、カトマンズ周辺の農村部で遊具をつくることができそうな学校がないか調べてもらうことにしました。
宮原氏からあげられたいくつかの候補地の中から選んだのは、ネパールから車で山道を走ること2時間ほどの距離にあるチャイマリという集落の、全校生徒400人くらいの学校でした。
その地域では、周辺に学校がここにしかない為、4才から15才くらいの幅広い子供たちが学んでおり、その多くは片道1時間以上歩いて学校に通っています。 家に帰れば、家族の一員として様々な仕事をこなす彼らにとって、学校は生活の中で唯一子供として、友達と遊び、学ぶ場所です。子供たちが子供のままでいられる時間をもっと楽しくなる手伝いが出来れば良いなと思ったこと、そして、調査の為に訪れたとき、学校がある谷の風景がとても美しかったことが決め手となりました。
パキスタン同様、現地で簡単に手に入る材料を使う事。現地の人と共同作業で行う事。(そのために農閑期を制作時期とする事。)子供たちと一緒に作る事、などいくつかの方針を決め、一週間小学校の外れにテントを張ってキャンプをしながら制作を行いました。
徐々に出来上がる遊具と、それを心待ちにする子供たち。現地で作業を手伝ってくれる大人の何人かは、息子や娘がこの学校に通っていたりします。
僕たち、ものづくりの人間にとって、パキスタン、ネパールでのプロジェクトには「ものを作る」という行為の原点がある様に思えていました。
しかし、一方でこれらのプロジェクトは個人の善意によって成り立っており、僕らは奇跡のような確率で、偶然にもこれら二つのプロジェクトに恵まれただけでもありました。
子供たちに遊具を作るというプロジェクトを続けていく為に、
僕らは、自分たちで何か行動を起こさなければならない。
ネパールのプロジェクトを終えたとき、そういう気持ちが芽生えてきました。 |